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ずいろの風

マーヅェとアゲハくん

 いつものこと、と言えるようになってしまったが、アゲハは窓際に立つ木を伝ってやって来た。毎回、その木に登るな、枝に足を掛けるな、身体を揺するな、玄関から来いと言って聞かせるのに、どうも翌日になるとリセットされている。アゲハ曰く、「まーちゃんがいたから」とのことだが意味が分からないのでまばたきの数も増える。……因みにまーちゃんというのは俺のことだ。
 そして今日も窓越しに「あそぼー!」と声を掛けられたので、大きく溜め息をついて、一階で暮らすことを検討し始める。たぶん、こいつは明日も木を登るからだ。

 丘の上を越えた森まで行こうと手を引かれた。正直その小さな手を振り払ってやるなり、切り裂いてやるなりしてやっても良かったのだが、いつもころころと笑っているアゲハが泣いて喚くようなシーンをどうしても想像出来ないので、そんな気を起こしたことはない。ころころと笑って息絶える様なら、想像に容易いが、それは俺に衝動を与えるどころか衝動の"し"の字も与えてくれやしなかった。だからだ。だから、俺は何の抵抗もなく手を引かれて、バカ正直に歩を進めているんだ。
 

「まーちゃん、あっちだよ! あっちにね、まっしろなうさぎさんがいたのー!」
「……で? 狩るのか? 愛でるのか? どっちだ?」
「? なでなでするんだよー」
 さてどうやらこのまま歩き続ければ俺もその白兎を愛でることになるらしい。全く趣味じゃないから帰りたい。
「俺はあんな毛玉撫でても何も感じねェぞ」
「どぉして?」
「マリオネット、だから」
 そんな風に、なにかを愛そうとしたことがないから。
「かわいいよ、うさぎさん。まーちゃんとなでなでしたいなぁ」
「……そうかよ」

 

――あたたかいな、とか。可愛いな、とか。そんなことも言えやしないがいいのか?――
 まあ、いいんだろうな。自己完結して、然り気無く道を外れようとしているアゲハの手を引く。アゲハの興味や関心はそこら中に溢れていて、油断するとすぐに視界から消える。いっそ目隠しをして、担いで運んだ方が絶対に早いと思う。歩幅も違うし。
 そんなことをぼんやりと考えながら、ふわふわと髪を揺らしながら歩くアゲハを見ていた。どこかで見たことのある色だと、以前から気に掛けていた髪の色。なんだっただろう、……

 

「……あ。わかった、森だな」
「森? なにー?」
「……いや、なんでもねェよ。それよりさっさと歩け、遅ェ。兎逃げんぞ」
「うさぎさんはにげないよー、だいじょうぶだよ」
 

"白樺の木々と、吹き抜けるみずいろの風。光に満ち溢れる神の恩恵秘めたる森"
 昔開いた小説の一篇に、そんな風に書いてあった。俺を忌み嫌い追放した、真っ白な悪人共が暮らす森だ。

 

「……まーちゃん、そっちの森にいきたいの?」
「は? 誰がんなこと言ったよ。近付きたくもねェよ」
「いきたいのかなぁって思ったから……なぁんだ。あっ! うさぎさんいたよー!」

 

 存外、子供というのは悟い。悟いかと思えば疎い。面倒くさい。毛玉を発見して駆け出したアゲハの背中を見遣って、転ぶぞ、と呟いた。案の定、転んだ。俺が言葉にしたせいなんかじゃないはずだ。
 

「……」
 

 遠巻きに見ても、笑顔のまま「ころんじゃったー!」と報告してくるあたり平気……なのか? と思う。若干の疑いが残るのは、数日前に「ころんじゃったー!」と言って血塗れだったことがあるせいで。見ていてやらないと危ないことばかりを選んでいくような生き物らしいから、精神を蝕まれる気がした。疲れる、とでも言うのだろうか。
 

「……おい、その毛玉黒くねェか」
「くろいよ?」
「はっ!? バカにしてんのか!? 白兎って話だっただろ!?」
「かわいいよー? まーちゃん白いほうがよかった??」
「いや……そういう問題じゃ、……はあ……いいよ別にソイツで」

 

 マリオネットになって初めて疲れたと言えるのでは……などと遠回しな言い方はもう必要ない気がしてきた。疲れた。黒い毛玉の耳を軽くつねり、睨んでやった。大体の動物は俺の身体に染み込んだ血の臭いを察してか逃げていくのに、そいつは耳は嫌だと言うように首を振るだけだ。アゲハは? ……アゲハは、首を振りもしない。
 かつての森を思わせる髪を、そっと撫でてやる。これにも壊さないコツというものがあって、最近ようやく加減を覚えてきた。髪がぽんと沈むくらいが、いいらしい。いや、もう少しくらい強くてもいいのだろうか。

 

「まーちゃん、なでなでー。ひんやりしてる」
「血が通ってねェからな」
「ねえ、さっき言ってた森はどこにあるのー?」
「さあ?」

 

 ぽん、ぽん、ぽん、ぽん、と撫でて(叩いて?)アゲハが眠たそうにしている時のように頭を揺らす。相変わらずころころとバカみたいに笑っているが、アゲハのこんな笑顔を見るのは嫌いじゃない。好きとまでは言わないが……なんとなく、拒むほどの理由は見当たらない。それだけだ。
 

「たぶん」
 

 こんなふうに
 

「手の届く場所には、……もうない」
 

 振り向いてみれば、みずいろの風が吹き抜けていくのかもしれなかったけど。

 

 

 おわり

 

 みこしさま(@cyounodance)宅のアゲハくんとマーヅェ。

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