top of page

まっしろい

樒さんと葛西基

浅縹色の空の下、森の深くで、白い頬にくちびるを寄せた。触れたような、触れてはいないようなもどかしい距離で、「樒」と愛しい婦の名を囁く。白い蝶は、眠っている。
 薄翅を破ってしまわぬようにやさしく髪を撫でてやると、涙がぽつりと零れ落ちた。いつも、ほろほろと泣いているこのひとの、小さな涙を掬い上げてやるだけの指になってもいい。それでいくらかの淋しさを埋めてやれたならどんなに、――。そんなことをぼんやりと考えながら、今日も一粒、掬い上げてやる。
 ようやく頬から離れると、樒が目覚めたようだった。ゆっくり、ぱち、とまばたきをして、ちゃんとこちらを見ている。そして自分は何事もなく、今目覚めたところにやって来たかのように、風を纏って微笑みかけるずるいやつだ。

 

「おはようさん」
「……おはようございま、す……?」

 

 寝てはったの? と白々しい科白を並べていく。まだ、樒の意識は少し遠くにあるようで、心配することはないようだ。

 

「あ」

 

 逢ってすぐに、一等奇麗な楓の葉を贈ろうと思っていたことを思い出した……ので、それを髪に差してやる。ゆったりと流れていく時間の中で、楓の赤は確かに鮮やかだった。白い髪に、赤い差し色が控えめに映える。けれども状況を把握し始めた樒が「すみません」と云い、途端に頬を赤らめてしまえば、楓もたちまち色褪せてしまうものらしい。愛しさの彩には、季節の何色もそうなってしまうのだろう。

 

「しぃさん」

 

 風を纏って、また涙一粒に指を添えて、

 

「逢いたかった」と告げる。

 

 私もです、と、そんな言葉を待っている。

 眠っているのだとわかって、きみが目覚めるまで、風を纏っていなかったことを、知られてはいけない気がしていた。

 

bottom of page